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第180話 デートと呼ぶには

Author: 八月 猫
last update publish date: 2026-11-04 09:00:52

 朝倉さんとカフェへ出かけた翌週、私はいつも通り会社で仕事をしていた。

 午前中の打ち合わせを終えて席へ戻ると、机には確認待ちの書類が何件か置かれていた。私はパソコンで必要な情報を照合し、午後の予定を確認してから、一つずつ処理を進めていく。

 仕事自体は普段と変わらない。

 ただ、ふとした時に先週末のことを思い出すようになっていた。

 朝倉さんと二人で入ったカフェ。

 分け合って食べたケーキ。

 雑貨屋で見つけた、青みのあるガラスの一輪挿し。

 どれも何でもない出来事だったけれど、思い返すと楽しい気持ちになる。

「藤崎さん、土曜日はどうだった?」

 昼休みが近づいた頃、佐伯さんが隣の席から声をかけてきた。

「土曜日ですか?」

「カフェ。森下さんが、あなたが自分からお誘いしたって嬉しそうに話してたわよ」

 私は思わず笑ってしまった。

「森下さん、話したんですね」

「細かいことは聞いてないわ

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     朝倉さんとカフェへ出かけた翌週、私はいつも通り会社で仕事をしていた。 午前中の打ち合わせを終えて席へ戻ると、机には確認待ちの書類が何件か置かれていた。私はパソコンで必要な情報を照合し、午後の予定を確認してから、一つずつ処理を進めていく。 仕事自体は普段と変わらない。 ただ、ふとした時に先週末のことを思い出すようになっていた。 朝倉さんと二人で入ったカフェ。 分け合って食べたケーキ。 雑貨屋で見つけた、青みのあるガラスの一輪挿し。 どれも何でもない出来事だったけれど、思い返すと楽しい気持ちになる。「藤崎さん、土曜日はどうだった?」 昼休みが近づいた頃、佐伯さんが隣の席から声をかけてきた。「土曜日ですか?」「カフェ。森下さんが、あなたが自分からお誘いしたって嬉しそうに話してたわよ」 私は思わず笑ってしまった。「森下さん、話したんですね」「細かいことは聞いてないわよ。でも、ちゃんと誘えたんだって?」「はい。一緒に行ってきました」「それで?」 佐伯さんは書類を揃えながら、こちらを見た。「楽しかったです。ケーキを食べて、そのあと近くの雑貨屋さんにも寄りました。初めて入ったお店だったんですけど、雰囲気もよくて」「いいじゃない。ずいぶん普通のデートになってきたわね」「デ、デート……」 思わず聞き返すと、佐伯さんが楽しそうに笑った。「違うの?」「違うというか……まだ、そういうふうに言っていいのか分からなくて」「二人で約束して、おしゃれして、カフェに行って、散歩して。少なくとも、仕事の打ち合わせではないでしょうね」 私は返す言葉を探した。 確かに、そうだった。 あの日、私は朝倉さんに会うために服を選んだ。彼も普段とは違うジャケットを着ていて、お互いに少し照れながら褒め合った。 カフェでは写真と関係のない話をして、帰り道にはまた会いたいと

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     駅へ続く大通りに出たところで、朝倉さんが少し歩く速度を緩めた。「藤崎さん」「はい?」「今日、誘ってくださってありがとうございました」 私は少し驚いて、隣を見た。「さっきもお礼を言ってくださったじゃないですか」「そうでしたね。でも、もう一度言いたくなったので」 朝倉さんは照れたように笑った。「最近は、仕事で人に会うことが多かったんです。撮影の打ち合わせだったり、展示の準備だったり。もちろん、それも楽しいんですけど、仕事を離れて誰かと出かける機会は、思っていたより少なくて」 私は頷いた。 朝倉さんは以前、休日でも撮影のことを考えてしまうと話していた。仕事が好きだからこそ、休みの日も自然とそちらへ気持ちが向くのだろう。「今日は、カメラも持ってきていないんですよ」「そういえば、いつものバッグじゃないですね」「はい。最初から持ってこないことにしました。途中で撮りたいものを見つけるかもしれませんけど、それはまた別の日でいいかなと思って」「今日も素敵なお店がありましたもんね。朝倉さんなら、撮りたいものがいろいろ見つかりそうです」「ええ。でも今日は、藤崎さんと出かける日なので」 その言葉に、私は少しだけ足を緩めた。 朝倉さんは私を見て、穏やかに続けた。「今日、楽しみにしていたのは、藤崎さんに会うことだったんです。カフェがどんなお店かも気になっていましたけど、それ以上に、またゆっくりお話しできるのが嬉しくて」 胸が大きく鳴った。 朝倉さんは、私が写真を見に来ることを喜んでくれていた。作品の感想を伝えると、いつも丁寧に聞いてくれた。 でも、今の言葉は少し違う。 写真を見に来てくれるからでも、作品を褒めてくれるからでもない。 私に会うことを、楽しみにしてくれていた。「……私もです」 少し照れくさかったけれど、自然に言葉が出た。「今日は、朝倉さんと一緒に出かけられるのが楽し

  • 『尽くしすぎたのでやめました。今さら後悔しても遅いです』〜帰らない人を待つのは、もうやめます〜   第176話 もう少し、一緒に

     カフェを出た時には、午後の日差しが少し傾き始めていた。 店の前に置かれた鉢植えが風に揺れ、通りには買い物帰りらしい人たちの姿が増えている。「おいしかったですね。タルトもケーキも」 私が言うと、朝倉さんは満足そうに頷いた。「はい。今度はスコーンも食べてみたいです。隣の席に運ばれてきたのを見て、少し気になっていたので」「見てたんですね」「実は。藤崎さんがケーキを選んでいる時から、僕はそっちも気になっていました」「言ってくださればよかったのに」「さすがに三種類は食べすぎかなと思いまして」 真面目な顔で答える朝倉さんに、私は笑ってしまった。 初めて会った頃は、こんな冗談を言う人だとは思わなかった。落ち着いていて、少し距離のある印象だったのに、今は穏やかな表情の中にも、いろいろな感情が見えるようになってきた。 私たちは駅へ向かって歩き出した。 まだ帰るには少し早い時間だったけれど、朝倉さんにも予定があるかもしれない。 そう思っていると、彼が通りの先へ目を向けた。「藤崎さん、このあと少し歩きませんか?」「お散歩ですか?」「はい。せっかく初めて来た町なので、もう少し見てみたいなと思って。もちろん、お時間があればですが」 私はすぐに頷いた。「私も、もう少し歩いてみたいです。さっき来る途中に、気になる雑貨屋さんがあったので」「それなら、そこへ行ってみましょうか」 帰り道が、少しだけ遠回りになった。◇◇◇◇ 駅へ向かう大通りから一本入ると、古い建物を利用した小さな店が並んでいた。 手作りのアクセサリーを置いた店や、焼き菓子の専門店。店先に植木鉢を並べた花屋もある。 私たちはショーウィンドウを眺めながら、ゆっくり歩いた。「あ、ここです」 私が足を止めたのは、小さな生活雑貨の店だった。 窓際にはガラスの花瓶や木製のトレーが並び、奥の棚には布製品が見える。

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     カフェの扉を開けると、焼き菓子の甘い香りがふわりと漂ってきた。 店内には落ち着いた音楽が流れ、木製のテーブルがゆったりと配置されている。壁際の棚には古い本や小さな雑貨が並び、窓から差し込む午後の日差しが床に柔らかな模様を作っていた。「いらっしゃいませ。お二人ですか?」「はい」 店員さんに答えると、窓際の二人席へ案内された。 向かい合って座り、メニューを開く。写真で見た季節のケーキのほかに、スコーンやタルトもあって、思っていた以上に種類が豊富だった。「迷いますね」 私が呟くと、朝倉さんが笑った。「藤崎さん、来る前から何を食べるか決めていたんじゃないんですか?」「一応、季節のケーキにしようと思っていたんです。でも実物を見ると、タルトもおいしそうで」「それなら、両方頼んで分けますか? 僕も甘いものは好きなので」「朝倉さん、甘いものがお好きなんですね」「はい。結構好きですよ。ただ、一人で店に入るとコーヒーだけで済ませることが多いので、今日はいい機会です」 思いがけない答えに、私は少し笑った。「じゃあ、今日は遠慮なく頼めますね」「もちろんです。僕も楽しみにしていましたから」 結局、私は季節のフルーツケーキ、朝倉さんは洋梨のタルトを注文した。飲み物は私が紅茶、朝倉さんはブレンドコーヒー。 店員さんが離れると、私は店内をゆっくり見回した。「写真で見た通りのお店で、安心しました」「僕は写真より好きかもしれません。木の床が少しきしむところとか、棚の本がきれいに揃いすぎていないところとか、実際に来ないと分からない雰囲気がありますね」「確かに。本も自由に読めるみたいです」「何か気になる本がありましたか?」「料理の本が何冊か。帰る前に見てみたいです」「いいですね。僕も少し見てみようかな」 そう話していると、朝倉さんの視線が棚の一角で止まった。 そこには、少し古いボードゲームの箱が並んでいた

  • 『尽くしすぎたのでやめました。今さら後悔しても遅いです』〜帰らない人を待つのは、もうやめます〜   第10話 知らない香水

    土曜日だった。 本当なら少し遅くまで寝ていたい日なのに、私はいつもの時間に目が覚めた。 隣を見る。 ベッドは空だった。 私はぼんやり身体を起こし、リビングへ向かう。 悠斗はソファでスマホを見ていた。 「あ、おはよ」 「おはよう」 カーテンの隙間から朝の光が差し

  • 『尽くしすぎたのでやめました。今さら後悔しても遅いです』〜帰らない人を待つのは、もうやめます〜   第9話 大丈夫の癖

    結局その日、私は一人でラーメンを食べて帰った。 本当はもっと洒落たものでも食べようと思っていた。 せっかく外食する気分だったし、少しくらい贅沢してもいいかなって。 でも店を探す気力がなくなってしまった。 駅前のラーメン屋に入り、カウンター席へ座る。「ご注文どうされますか?」「あ、醤油ラーメンで」 店員に答えながら、自分でも少し驚く。 私は本当は塩派だ。 でも悠斗が醤油好きだから、気づけば家でも醤油ばかり作るようになっていた。 私は箸を持ったまま、ぼんやり湯気を見つめる。 好きなもの。 最近、自分の『好き』がよく分からない。 ラーメンを食べ終えて店を出ると、夜風が少

  • 『尽くしすぎたのでやめました。今さら後悔しても遅いです』〜帰らない人を待つのは、もうやめます〜   第8話 言えなかったこと

     翌日の朝、私は少し寝坊した。 目を覚ますと時計は七時十分を指している。「……やば」 慌てて起き上がる。 いつもならもう朝食を作り始めている時間だった。 私は急いでキッチンへ向かう。 でもそこには思っていた光景がなかった。 悠斗が一人でコーヒーを淹れていた。

  • 『尽くしすぎたのでやめました。今さら後悔しても遅いです』〜帰らない人を待つのは、もうやめます〜   第7話 私が知らない時間

     写真を閉じたあとも胸のざわつきは消えなかった。 私はソファに座ったまま、ぼんやりスマホを握りしめる。 居酒屋の明るい照明。 楽しそうな笑い声が聞こえてきそうな写真。 その端に映っていた悠斗。 私の前で見せる顔とは少し違って見えた。 なんでだろう。 笑っていただけなのに。

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